こんにちは、リコです。
離婚事件を扱っていると、びっくりするような無理難題を口にする当事者に頻繁に遭遇します。
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あり得ない要求をする人々
例えば、
相手が病気で働けなくなって、収入がないことがわかりきっているのに、平然と法外な婚姻費用の支払を要求し続ける人
とっとと払いなさいよ!
相手が財産状況を全て開示して、いかに経済的に困窮しているかを説明しているのに、子どもを留学させるからといってその費用の支払を要求する人
子どものためなんだから、払うのが当然でしょ?
相手が入院していて動けないのがわかっているのに、引き取りに来なければ捨てるなどといって、相手が自宅に残して来た荷物の引き取りを要求する人
早くしろよ。捨てられてもいいのかよ。
などなど・・・
ちょっとでも相手の立場に立ってみれば、およそ不可能だとわかるはずなのですが。
しかもこれにはふたつのパターンがありまして、
ひとつめは、およそ不可能だとわかっていながら敢えて嫌がらせ的に要求するパターン。
まあこれは、悪意に満ち満ちてはいるけれど、一応思考回路としてはまだ理解できるかな、と。
ふたつめは、何の疑問も持たずに当然のこととして要求するパターン。
こちらが理解できないのですが、実際かなりあるパターンです。
なんでこんな嫌がらせ的な要求するの?
少し考えれば、絶対に無理だってわかるじゃん!
と思うのですが、無理難題を主張している本人はいたって真剣で、自分の要求は受け入れられるのが当然、と心の底から思っているように見受けられます。
思いやりゼロの状態とは
私は毎回このふたつめのパターンの現象が不思議で、
誰がどう見てもあり得ない要求をしている人の頭の中はどうなっているんだろう?
と想像するのですが、いつも全く理解できません。
だけど、夫婦関係にズレが生じて、そのズレが徐々に大きくなっていくとともに、反比例するように相手への思いやりも徐々に減っていって、行き着くところまで行き着くと、
もう相手への思いやりなんか1ミリも残っていなくて、それが当たり前になってしまっているのかなあ?
とも思うのです。
実際、相手への思いやりが1ミリも残っていない状態というのがどんなものなのか、夫婦生活を営んだことのない私には想像もできないのですが、辛く耐え難い結婚生活を送っているうちに、そのような状態に陥ってしまうのかもしれません。
そもそも通常他者に対して思いやりゼロの状態になることって、ある程度の大人であれば、そうそうなくないですか?
にもかかわらず、いい大人をいとも簡単にそのような状態にさせる夫婦関係、奥深いですね・・・
幸せな結婚生活を維持するために
逆に言えば、僅かでも思いやりを持ち続ければ、行き着く所まで行き着く(=離婚する)ことは回避できるんじゃないでしょうか。
「思いやりを持とう!」と言っても、なんかふわっとしてて、曖昧な感じがしますが、要するに、「相手の立場に立って考えてみる」ということですよね。
対外的には意識しなくても相手の立場に立って考えることができているのに、夫婦間だとこれができないという人は多いんだろうなと思います。
そこでご提案なのですが、既婚者の方や現在パートナーがいる方は、30分に1回、1時間に1回などと頻度を決めて、意識的にお互いの立場に立ってみる時間を作ってみてはいかがでしょうか。
そうすれば、思いやりゼロの状態になることを回避できるのではないかと思います。