違う世界が見えている

こんにちは。リコです。

これは離婚事件に限らないことですが、弁護士の仕事は、依頼者の主張に耳を傾け、その意向を相手に伝えるところから始まります。

そうすると、次は相手からこれに対する反応が返ってくるわけですが、その内容が、依頼者の主張と真っ向から対立していることが少なくありません。

私

争いになっているわけですから、ある意味当然かもしれませんが・・・

どちらかが嘘つき?

そうなると、修行の足りない私は毎回、

私

どちらが本当なのかな?

依頼者さんは嘘をついているんだろうか?

相手の言っていることの方が説得力があるような気がするし、負けちゃうかも?

なんて動揺してしまったりするのですが(そして同僚から白い目で見られるのですが。)。

だけど、おそらくほとんどの場合、どちらも嘘なんてついてないんですよね(もちろん例外はありますが。)。

初めて離婚訴訟の尋問(当事者が裁判官の前で質問に答える手続です。)を経験した時、双方の言い分があまりにも正反対で、でもお互いに嘘をついているようにはとても見えなくて(素人目には、ですが。)、ある意味感動したことがあります。

私

この二人は、確かに夫婦として、何年も同じ空間にいて、同じ時間を共有してきたのに、見てきた世界はこんなに違うんだなあ・・・

違う世界が見えている

私たちは、何か物事を認識するときに、常に主観的に判断しています。

どんなに客観的にと努めても、どうしても自分が持っている「常識」や「ものさし」、「感情」といったフィルターを通して世界を見ることになります。

私

フィルターの構成要素は、他にも色々とあるかもしれません。

そのフィルターが分厚いものか、ごく薄いものかは人によって違うと思いますが。

だから、例えば、客観的事実としては、「夫の手が妻の肩に当たった」というだけであった場合でも、

夫

用事があったから、気づいて欲しくて肩をポンと叩いただけだろ?

なんでそんな怖い目で睨むんだよ。

妻

私のこと、殴ったわね?そうやって、いつもいつも私に暴力ばかり振るって!!

というような食い違いが起こってくるわけです。

もちろん、物理的な強さにしても、夫にとっては軽く叩いたつもりが、妻にとっては痛かったということもあると思います。

通常は、肩に手が当たった後のお互いのリアクションから会話が生まれ、双方の認識のズレが解消されれば、特に問題は起こらないと思うのですが、険悪な空気が続いていてほとんど会話もないような夫婦だと、このような些細なズレでも解消する機会がなく、間違った認識のまま同じ時間を共有することになります。

こうしたことが積み重なってくると、もうその二人が見ている世界は、全く別物ということになりますので、その状態で一緒に生活を続けていくなんてできなくなりますよね。

コミュニケーションは大事

このように、同じ空間にいたはずなのに、あまりに違う世界を見てきた夫婦を目の当たりにすると、

私

何年間も同じ家で育った家族や、いつも同じ職場で同じ景色を見ているはずの周りの同僚も、私とは全く違う景色が見えているんだろうなあ。

と感慨深く思ったりします。

ですが、夫婦がうまくやっていくためには、少しでも認識のズレを解消して、なるべく同じ世界、同じ景色を見ようとする姿勢が欠かせません。

実際に同じ世界が見えているかを明らかにすることは不可能なので、あくまで大事なのは「見ようとする姿勢」です。

そう考えてくると、やっぱりコミュニケーションは大事だなあ、と。

ありきたりですが、夫婦円満の鍵は?という質問を受けた場合には(離婚事件ばかりやっていると、たまに訊かれるのです。)、

私

コミュニケーションです!

と回答するようにしています。

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