こんにちは、リコです。
今日は、私が離婚事件を手がけるようになって、最初に感じたことについてお話しします。
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常識は人の数だけある
離婚したいとご相談に来られる方の多くは、相手との価値観の不一致に悩まれていて、その不満を訴えてこられます。
その際によく耳にするのが、
〜するのなんて常識ですよね?
当然〜できるのが常識ですよね?
常識的には〜ですよね?
常識的には〜なんだから、相手は当然〜するべきですよね?
という言葉。
ですが、みなさんの仰る「常識」は本当に人それぞれですし、私の「当たり前」とも一致しないことが多いです。
常識とは?
そもそも「常識」ってなんなんでしょうか?
Google先生に聞いてみたところ、
健全な一般人が共通に持っている、または持つべき、普通の知識や思慮分別。(Oxford Languagesの定義)
とあります。
ですが、
「健全」かどうかはどうやって判断するんでしょうか?
「一般人」って誰ですか?芸能人には不要なんでしょうか?
「普通」ってなんですか?
と、色々と突っ込みたくなってしまいます。
Wikipedia先生によれば、
社会を構成する上で当たり前のものとなっている、社会的な価値観、知識、判断力のこと。また、客観的に見て当たり前と思われる行為、その他物事のこと。
とあります。
こちらの定義でも、
「社会」の範囲はどこまで?
「社会的」って?
「客観的に見て」というけど、誰が判断するの?
などの疑問が出てきます。
夫婦間では「常識」は機能しづらい
色々と言ってみましたが、要するに、「常識」というのは、ある程度の規模の集団における共通認識や共通の規範のようなものかと思います。
それによって集団生活が円滑に進むような。
ですので、その集団における多数派の認識がそのまま「常識」となり、少数派にとっては窮屈な集団生活を強いられる、という構図になりがちです。
ところが、夫婦の場合、「集団」とは、夫と妻の2人です。
そうすると、お互いにとっての「当たり前」が食い違った場合、どちらも多数派にはなれません。
つまり、この場合、夫婦間に「常識」など存在し得ないのです。
ですが、人は、自分の「当たり前」=「常識」だと認識している場合が多いですから、その「常識」から外れる相手を受け入れることがなかなかできません。
そこで、相手を自分の「当たり前」に合わせるように、無理に変えようとするから、相手との関係がうまくいかなくなるのです。
他人の「当たり前」を押しつけられる側からすれば、自分の「当たり前」より相手の「当たり前」の方が正しい保証なんてどこにもないのに、なんで自分の「当たり前」を否定されるのか、相手の「当たり前」を受け入れなきゃいけないのか、簡単には納得できないですよね。
ちなみに、子どもが生まれれば、「常識」という多数派を形成することはできるかもしれませんが、少数派がますます居心地が悪くなるという点では、いずれにしても、夫婦円満からは遠ざかりそうです。
常識なんて存在しない
こうやって考えていくと、
そもそも「常識」というものが存在することを前提に考えるから、みんな苦しいんじゃない?
と思うようになりました。
夫婦間にも「常識」が存在していて、その「常識」は当然に守られるべき、と考えているから、その「常識」から外れる相手を受け入れられずに苦しみ、無理やり相手を変えようとして、それが叶わずさらに苦しむことになるのではないかと。
そうであれば、いっそ、「常識なんて存在しないんだ!」と考えてしまった方が、お互いの「当たり前」の食い違いを受け入れやすくなるし、パートナーとの関係もうまくいくようになるのではないでしょうか?
もちろん、離婚原因として価値観の不一致が多いことからすれば、お互いの「当たり前」がなるべく一致している方がいいのでしょうけれど、別の人間である以上、完全に一致することなどあり得ないでしょうし、一致していないからこそ、お互いの世界が広がるということもあるように思います。
現在、パートナーが非常識であることに悩まれている方は、一度このように考えてみると、今までより少しは心に余裕が出てくるのではないでしょうか。